2020年1月19日(日)より放送開始のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも主人公をつとめ、今世間で最も注目を浴びている武将ともいえる「明智光秀」。
ドラマの中ではいろいろと脚色(めっちゃイケメン、、、)されて放送されていますが、史実における明智光秀とはいったいどんな人物だったのでしょうか。
おそらく皆さんのイメージとしては「すごく頭が良くて戦略家!」だとか「織田信長を裏切って●した人!」といった感じでは無いでしょうか。
しかし、明智光秀とはいえ一人の人間であり、その人生を一言二言で語りつくすことはできません。実際に私も、本記事の執筆にあたって調べた際、「え!?そんな過去があったの?」とか「なんか今までの印象と違うな~」と思ったことがたくさんありました。
今回はそんな今注目の「明智光秀」さんについて、日本史最大のミステリーとも言われる「本能寺の変」、「水色家紋に秘められたメッセージ」などの数々の謎に触れつつ皆さんに解説していきたいと思います。
※基本的に史実に基づく記述であり、大河ドラマのストーリーと直接の関係はほとんどありませんが、「何の前情報も無しに大河ドラマを楽しみたい!!」といった方はドラマ終了後まで本記事を読むのを待った方が良いかもしれません。(ドラマの方はかなり脚色が施されているので、本記事の内容がネタバレになりそうな雰囲気は皆無ですが。)
明智光秀の生涯と功績~結局どんな人だったの?~

〇 生年:不明(諸説あり)~1582年7月2日
〇 名前:彦太郎(幼名)、明智光秀、惟任日向守、三日天下様(通称・死後)、前日洲条鉄光秀居士(戒名)など
〇 お墓:谷性寺(京都府亀岡市)、西教寺(滋賀県大津市)、高野山奥の院(和歌山県伊都郡高野町)など
〇 主君:斎藤道三→朝倉義景→足利義昭→織田信長
武将の中では抜群の知名度を誇る明智光秀ですが、意外にもその出生は謎に包まれており美濃国(現在の岐阜県南部)をルーツとする説が有力視されてはいますが、それ以上の情報については確たる証拠が見つかっていないようです。
そんな光秀が歴史の表舞台に出てくるのは、第15代将軍足利義明に仕えた16世紀中頃からであり、足利将軍を上洛(京都に行くこと)に導いた織田信長との関係もこの頃から始まったものと考えられています。
当時から智略に長けており、人心掌握の才も持ち合わせていた光秀は、足利・織田の両名に仕える形で異例のスピード出世を遂げ、1575年には丹波(現在の京都府・兵庫県・大阪府の一部)の攻略を信長から命じられることとなります。
極めて治めにくい地であった丹波攻略のために築かれたのが「丹波亀山城」および「福知山城」であり、光秀はここを拠点に5年をかけて丹波を平定。さらに氾濫する川を納め、一部の税を免除するなどして経済発展にまで尽力しました。
これら一連の行動に対しては信長も「天下の面目をほどこし候」と最大の賛辞を送っています。
※ちなみに明智光秀と所縁の深い城は他にも多数あり、代表的なところでは以下のものが挙げられます。今回のブームで興味を持った方は聖地巡礼の御参考にどうぞ。
〇 田中城(滋賀県高島市)
〇 明智城(岐阜県可児市・恵那市に2つある)
〇 坂本城(滋賀県大津市)
明智光秀の家紋に隠された謎

少し話は変わりますが、明智光秀は戦国時代において珍しく色付きの家紋を採用していたことで知られています。(上記左が一般的な桔梗紋、右が明智光秀の水色桔梗)
桔梗をモチーフとした家紋は他にも沢山ありますが、色付きのものは光秀の家紋だけ。家紋の由来はキキョウの花・葉・茎を図案化したものとなっています。
キキョウの花は元々、仏や神に捧げることで吉凶を占ったことからその名がついたとも言われており、信長に忠誠を誓いながらも最後には裏切った明智光秀の行動も、この家紋のお告げによるものだったのかも知れませんね。
ちなみにこの家紋、シンプルでいて奥ゆかしい美しさがあり、信長も羨ましがっていたそうです。 、、、が、本能寺の変以降は「裏切者の家紋」として変更する武将が続いたとのこと。色付きで目立ちますから、信長in本能寺ではさぞ壮観だったことでしょうよ。私だったらチビッてしまうところですが、天下の信長はどうだったのかな。
明智光秀、織田信長の運命を決めた日本史最大の謎「本能寺の変」

明智光秀を語る上で絶対に外せないのが「本能寺の変」ですよね。
これまで忠誠を誓ってきた織田信長に対しての突然の謀反、そして三日天下の後に農民に刺されたのが明智光秀の最期だと言われています。(諸説あり)
天正10年(1582年)6月2日、織田信長は家臣の豊臣秀吉の高松城攻めを支援するべく上洛しており、本能寺に宿泊していました。(朝廷に気を使ってか京都には城を築いていなかったんです。どんまい。)
一方その頃、明智光秀の元にも秀吉からの応援要請が届いており、13,000人の軍勢を率いて出陣。光秀がいつ謀反を決断したのかは分かりませんが、この時点では兵達に謀反の意は伝えられていなかったようです。そして、、、
天正10年(1582年)6月2日未明に明智光秀は「敵は本能寺にあり!」と言ったとか言わないとかで本能寺を包囲。自らの死期を悟った信長は「是非に及ばず」と言ったとか言わないとかで自害したそうです。
ここで最も謎に包まれているのが、光秀が謀反を起こした理由(5W1Hの「Why」ね)ですが、有力とされている説を以下に挙げてみたいと思います。
〇 野望説:男子たるもの必ず目指す地上最強の生物(違)、光秀も天下を取りたかった説。
〇 パワハラ説:日頃から信長にストレス溜まってたらしい。殺伐とした職場って嫌だよね。
〇 黒幕説:朝廷が暗殺を持ちかけたってもっぱらの噂。
〇そして近年注目されているのが「四国説」です。
これは、土佐の長宗我部元親が信長への恭順を示しているのにも関わらず、信長が四国攻めを進めようとしたことから起こったというものです。元親との交渉役を任されていた光秀が、元親との戦いを避けるために信長を討ったとしています。
これに関しては、最近、元親が信長への恭順を示した手紙が見つかったことから、有力視されるようになりました。
今となっては真相は分からずじまいですが、この後すぐに秀吉に討たれ「三日天下」と言われてしまう光秀。智将として名高い武将であっただけに、何らかの誤算があったんでしょうね。
まとめ
流行しているアレのせいで収録中止か!? とも一時期騒がれた大河ドラマ『麒麟がクルーーーー(゚∀゚)ーーーー』(違)ですが、無事に2週間遅れでスタートしました。そうなると、放送期間は12月中旬頃までかな。
上記した明智光秀の半生と様々な謎がどのようにドラマとして描かれていくのか非常に注目されるところですね!!
あと個人的には、帰蝶(川口春奈)をもっと描くべきだと思うね、いや史実としてね、川口春奈が可愛いからとかじゃなくね。
大河ドラマをご覧になられている方にとっては、こういった史実を知ればより楽しめると思いますし、そうじゃない方にとっても歴史の面白さの一端を垣間見るきっかけになったのでは無いでしょうか。
明智光秀については、この記事では書ききれずに泣く泣く削ったエピソードが本当にたくさんありました!! とってもミステリアスで時にチャーミングな一面もある武将なので、興味を持った方は是非深堀りして調べてみてくださいね。
本ブログにおいても、反響があれば第2弾、第3弾を投稿したいと思います!!
もし「もっと知りたい!」とか「ここの解釈違うんじゃない?」といった御意見があれば、是非コメント欄でお知らせください!! 私が(後で、暇な時に)調べて、またアップしまーす。


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