精進料理とヴィーガンは同じ?どちらもベジタリアンなのか?

健康食

精進料理とヴィーガンも、動物性食品を摂らない人たちの食事。一般的にはそんなイメージかもしれないけれど、実はそんな単純なことではないのです。今日は、精進料理とヴィーガン、ベジタリアンについて書いていきます。

ベジタリアン=精進料理ではない

精進料理もベジタリアンも動物性の食物を使用せず、野菜、果実、穀物、豆、海藻、キノコだけを食べる。定義だけみれば両者は同じ。

でも、実際は食事に対する捉え方が違う。

精進料理は、仏道修行を努める僧侶が悟りを極めるために精進して野菜、豆、穀類を工夫して食べる料理の事。必要のない殺生を避けて、盆脳への刺激を減らしてすべての命への感謝をしながら、マインドをフォーカスする努力の為に食事をする行為。それは、悟りを極める為に仏道修行の一環として存在している。

一方、ベジタリアンは、自分の健康のために肉や魚を食べないで植物性食品を食べる菜食主義者のこと。健康志向のために動物性の食物を食べないベジタリアンと精進料理は全く違うものなのです。

それでは、ヴィーガンはそれに対してどういった位置づけになるのだろう?

ヴィーガンは「一切の動物を摂取・苦しめることなく生きる」

ヴィーガンは、ピュア・ベジタリアンとも呼ばれるベジタリアンの1種として存在する。だからベジタリアン寄りかとも思われがちだけど意外にも精進料理に近いものだった。

ヴィーがニズムという考え方は、最近2010年ごろからようやく受け入れられるようになった。もちろん、1910年には、ヴィーガン向けの料理レシピ本なども発売されていたけれど当時はあまり浸透していかなかった。

ヴィーガンでは、動物を搾取することは悪いことだと考える。完全な菜食主義者で、肉や魚はもちろん、卵や乳製品も一切口にしない。ハチミツでさえ禁止。それは、蜂という生き物が一生懸命に貯めたものを奪うことになると考えるから。

動物を傷つけたり、奪ったりすることを禁じて、さらには食べ物としてだけでなく衣服や化粧品として摂ることも禁止している。その点でもベジタリアンとの相違がある。食生活だけでなく、生き方のスタイルがヴィーガン。その根底が「動物愛護の精神」であり健康志向が根幹にあるベジタリアンとはそこが大きく違う。

悟りを開いて仏に近づくためとはいえ、無益な殺生をしてはいけないという精進料理の考え方と、動物を傷つけることは悪いことだというヴィーガンの基本理念が「動物愛護」という観点から見ると近いものがある。

ベジタリアンを一括りするには多様すぎる

ヴィーガンが、生き方としてのスタイルであるように、1847年頃の英国から、ベジタリアンという生き方のスタイルが言葉としても使われ始めた。

しかし、アレルギー、病気、宗教、健康、地球環境、スピリチュアルなど多くの観点があり、何でベジタリアンになったのか、なぜその生活を選択したのかという背景は多様で果てしない。ただ、食べ物の制限によって代表的なタイプを分類してみるとその差が良くわかる。

カテゴリー
ヴィーガンラクト・ベジタリアンラクト・ オボ・ベジタリアンペスコ・ ベジタリアンノン・ ミート・ イーターポゥヨゥ・ベジタリアンフルータリアンブレッサリアン(プラーナタリアン)
××××肉の身は× 皮・油は〇鶏肉のみ× その他肉〇××
××××××
牛乳×××
鶏卵××××
蜂蜜×××

欧米のベジタリアンの多くは、上記で「ラクト・オボ・ベジタリアン」に属する。

ちょっと珍しいスタイルではあるけれど、上記のノン・ミート・イーター(動物の肉を食べないけれど、それ以外は制限無く、肉でも皮や油は食べる。)や、フルータリアン(フルーツやナッツしか食べない。動物に加えて植物の命も大切にする。果実や木の実をとってもその植物は死なないけれど、根から収穫する野菜は、その植物が死んでしまうから)や、ブレッサリアン【プラーナタリアン】(全く食事をしない。光と水のみからエネルギーを吸収して生きている)は極端すぎて凄い。

毎日の食事が身体を作り、何を選ぶのかというその選択こそが食事であり、私たちの精神を作っている源なのかと高尚なことを考えてしまった。たまには、ちょっと難しい事や新たな観点から物事を考えてみるのも悪くないね。

まとめ

・精進料理は、悟りを極める為に仏道修行の一環として努力の為の食事。

・ヴィーガンは、ピュア・ベジタリアンとも呼ばれるベジタリアンの1種で、生き方のスタイルとして「動物愛護の精神」がある。

・ベジタリアンは、自分の健康のために肉や魚を食べない菜食主義者のこと。

・ベジタリアンの中には、ヴィーガンと同じように様々なストイックな縛りがあるスタイルが存在する。

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